原告A裁判報告&激励会開催

10月29日18時30分から「原告A裁判報告&激励会」が開催された。雨降る中、全国ユニオン首都圏の仲間、なのはなユニオンの仲間たちが集まった。
三宅弁護士から判決の問題点が話される。千葉地裁(2023年12月26日)は着ぐるみ出演業務に起因する上肢障害に罹患したことは認められるが、重量8㎏以上の衣装を着用する業務に従事させてはならない義務と衣装を着用しての演技時間は最大30分とし休憩時間を1時間確保する義務は一般的には認められない。そして自己申告書に上肢障害をうかがわせる記載がないので予見可能性を否定し、安全配慮義務はないと判示した。東京高裁(2024年9月19日)は自己申告や他者申告がなくとも会社には聴取すべき義務はあるが、本件障害(胸郭出口症候群)は難しい病気で、軽減勤務への判断は会社には困難であったとして安全配慮義務はないと控訴を棄却した。
三宅弁護士は敗訴ではあるが、「新時代の働き方に関する研究会報告」(2023年10月26日)に「働き方が多様化するので働く人は業務遂行の面でも健康管理の面でも自己管理能力を高めることが求められている。」と明記されているように、労働法制改正で労働者が自己管理をすることが求められているが、原告Aの裁判から「会社には聴取義務がある」と言えると提示。
その後、7年にわたり闘いを支援いただいた全国ユニオン鈴木会長、シニアユニオン島書記長、東京ユニオン渡辺副委員長から激励の挨拶をいただく。
そして現在、原告Aと同様、株式会社オリエンタルランドを相手に業務過重裁判を闘い、千葉地裁で敗訴して東京高裁で係争中の大川さん(元OLCダンサー)から現状を報告していただく。
最後に、原告Aが7年間にわたる裁判闘争を終結した思いを述べる。
7年間お世話になりました。裁判をやったことはよかったと思いたいが、成果としてよかったのか。

裁判の成果として、会社には聴取義務があるので保健室や上司に訴えることができるとなっても、もう自分は職場にはいない。裁判を起こした人には使えると思うが、現場で声を上げる人がいるのかなと思う。だからこそ勝訴がほしかった。敗訴だとせっかくやったのに、どこにも届かない。これをどう発信していくのか。裁判をやったからには次に活かしたい。7年間を無駄にしたくない。終わったがここからできることを探さないと、と思う。
会社は1年10ヶ月の労災隠し、半日の早退で嫌がらせ。胸郭出口症候群ではいつ仕事に戻れるかわからない。職場が変わらないともどれないと思った。過重労働は認められ、労災で仕事からなったと認められたが、団体交渉では具合が悪くなったのは個人責任と言われ、追い詰められて裁判を提訴した。
そこまでしないとハードルが高い裁判には立ち上がれない。地裁では3人、裁判長が変わった。変わる度にゼロから仕事内容をわかってもらわねばならず時間がかかった。裁判中、体調を崩すことを繰り返した。仕事を続けながらの裁判は負担。しかし、勝つぞと思っていたので辞められなかった。
今の職場で頑張っていこうと思う。ご支援ありがとうございました。
原告A
原告A激励会は、シニアユニオン高井委員長の音頭での乾杯から始まる。駆けつけていただいたプレカリアートユニオン清水委員長、稲葉書記長からも激励の言葉。
参加いただいた方々、今年の10月末で65歳を迎えOLCキャストを定年退職したOさん、再雇用制度問題を裁判で係争中の富田さん、何度も支援行動に参加いただいたシニアユニオンの島さんや兎洞さんらから激励の一言をいただき、8時30分に閉会。
OLCキャスト
雇止めを撤回し、働き続けて定年退職を迎える!

2015年12月24日、クリスマスイブ。「小部屋に来て」と言われ、行くと、狭い小部屋にSV(スーパーバイザー)数名と店長がいました。スチールの小机のついた椅子に座らされ、「あなたは、この指導確認書5枚に署名したので辞めて下さい。」「ここに署名して」と退職願いを出されました。
「え、何ですか」「いやです。何でですか」と押し問答が続くこと数時間。立ち上がることもできない中、「署名しないと帰れませんよ」と店長が自分のボールペンを出して「書いて」と。そして「書いても書かなくても辞めてもらうことは決まっているから」と言われ、心が折れて退職願いに署名しました。
クリスマスイブの夜、家族は予定通りに帰らない私を心配してました。とりあえず署名をして、やっと帰してもらってからが大変でした。次に出勤したときに「有給を消化して下さい」と言われ、「何とかならないのですか」と聞いても「何ともなりません。」とSVの冷たい言葉でした。
何とか状況を変えたい、どこに相談に行ったらいいんだろうと必死でした。その時に思い出したのが、以前、夫の同僚がもらって来たビラでした。「奥さん、勤めているとこ、こんなビラ配られているけど大丈夫なの」と。当初の私は、まったく信じてなくて「こんなこともあるのかな?まさかね?」でした。
暮れの押しせまった年末に、せっぱつまった私は恐る恐るユニオンに電話したのでした。電話に出た女性(鴨さん)が「それ勝てるわよ(撤回できるよ)」と言ってくれました。「本当に勝てるんですか」「詳しい話は年明けにね」ということで、少し心が軽くなったことを覚えています。
年が明けてからは、ユニオンがすぐ動いてくれて、団体交渉をして“雇止め”を撤回してくださったのでした!
普通に生活している私の人生の中でこんなことが起こるなんて夢にも思っていませんでした。
労働組合はテレビの中で見る人たちでしたが、そのことがあってユニオンの皆さまには本当に感謝いたしておりますし、心強かったです。大企業と闘う姿は頼もしかったです。
おかげ様、先月(2024年10月末)で65歳を迎え、無事に定年退職しました。
仲間のキャストが温かい送別会を開いてくれました。辛い思いをしたけど、頑張ってきてよかったなと思う次第です。
なのはなユニオン、オリエンタルランドユニオン、鴨さんには感謝しかありません。
Oさんが「指導確認書」に書かされた事例
★業務(ドレスメーク)で、ドレスの下にインナー(白い長袖・タートル)を着て出て行ったゲストが「インナーを脱ぎたいのでゲストルームを貸して」と戻ってきた。会社の決まりは出て行った人には貸せないとなっているので、誰でも使用できる多目的ゲストルームを教えたら、その場で着替えをすると怒った。
★責任者が休み、急遽年下の同僚が責任者を代替。緊張していたので大丈夫かなと思っていたら「顔(Oさんの)が怖い」と泣いてSVに訴えた。
★次の出勤時にその同僚と会った時、「ごめんね。怖がらせて」と謝ったら、またSVに呼ばれ「謝るならば、自分を通せ」と言われた。
(K・O)
解決しました!
公平な配車を!残業代を支払え! K社

K社に海上コンテナ運転手として就労してきたI氏は、配車が差別的であると思い、2021年10月に取締役宛に「上申書」を提出したが、問題の解決に至らず、組合に2024年7月に相談に来て、8月5日に交渉を行いました。組合は(1)差別的配車の実態を指摘して公平な配車を要求。(2)接触事故及び連結ホース切断の事故を起こした際、I氏は会社に損害金を支払ったのに、無事故手当(月1万円)が支払われなかったので、無事故手当を支払わない根拠について説明と規定の提示を求めた。また、(3)残業代が支払われていたが、毎月支払われる売上金が残業代の計算のベースに含まれていないのではないかという疑問があり、未払金の支払を求めました。
1回目の交渉で、会社は公平な配車にすると返答。無事故手当については賃金規定が提出され、説明を受ける。規定に則った処理を行うと、I氏に返金しなければならないことが判明したので、会社は返金を約束。残業代は組合が指摘したとおり、残業代の時給の計算ベースに売上金が含まれていなかったので未払金があることが判明。会社は残業代の未払金があること、売上金は歩合給であることを従業員に説明する場をもち、I氏だけではなく全従業員に支払った。
同僚からの暴行&解雇 E社

E社でダンプカーの運転手をしていたT氏は2024年8月31日、下請会社の従業員から、突然、ダンプカーから「おりろ」と言われ、おりて話そうとしたら殴りかかってきて、後ろから羽交い絞めにされて後ろに倒された。その際、左側の腰・首を打ち、指から血が出たので警察に連絡。直後に病院に行き、「頚椎捻挫、腰部挫傷、臀部挫傷、右第4・5指擦過創」と診断された。業務中、会社の敷地内でおきたことなので、社長に労災にしてほしいと話したが「関係ない」と言われ、その後、社長と連絡が取れなくなり、組合に相談に来た。
組合は(1)会社に労働災害申請の協力を求める、(2)事故日から現在に至る1カ月程、社長と連絡がとれない状態について、解雇であれば解雇される理由はないので解雇の不当性を争うということで、交渉を申し込むこととしていた。交渉を申し込む直前、会社からT氏に「解雇通知書」が届く。解雇理由にはT氏が他の従業員に暴行した、遅刻した、現場担当者からの作業指示の電話に出ない等々。そして貸した金を返せなどが書かれていた。どの理由も事実と違う不当解雇ではあるが、働いた期間が3か月ほどの短期だったので、争って時間をかけても得るものが少ないので、できるだけ短時間で終了したいというT氏の意向で、組合は会社に不当解雇であるが、会社がT氏に求める返済額を解決金として相殺するならば争わない、と会社に通知。会社も早期解決をしたいとのことで、組合提案に応じるとなり交渉せずに解雇問題については早期での解決に至る。労災については労基署に本人申請をする。
第36回CUNN 全国交流集会 in おおさか
ユニオンでつながり
ひろがる仲間の 知恵と輪と力

10月5日と6日の2日間、コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク(CUNN)主催の全国交流集会がエルおおさかで開催され、初めて参加した。昨年は300名規模で、今回は過去最高の400名以上の参加であるとのこと。

大会初日の1日目は、開催10分前に東京ユニオンの関口さん、伊藤さん、松川さんと合流して会場入りした。CUNN共同代表の挨拶できょうとユニオンの方が挨拶。以前に関西で自身が電話相談支援事業のコーディネーターとして従事していた際にきょうとユニオンやユニオンぼちぼちの組合員の方々と共に相談支援をしていて、大変お世話になったのを思い出した。その当時24時間365日の電話相談支援事業は過酷で各々のユニオンの方々と徹夜でよく一緒に仕事をしてから、10年近く経ち、もうきょうとユニオンの名前を直接聞く機会等もないであろうと思っていただけに本当に何が起こるのかわからないものだと実感した。
挨拶後に全国ネット総会が開催され、総会後に東京管理職ユニオンの伊地知さんよりあんしん財団争議の特別報告等があり、韓国からの来賓である韓国非正規職労働団体ネットワークの方々の紹介が行われた。その後、全体企画でドキュメンタリー映画『もっと真ん中で』が上映され、その中でもよりそいホットラインで共に相談支援に携わって来た女性弁護士が出て来て、自身にとっても関西は因縁の場所だということを再認識させられた。その後は、場所を大阪商工会議所へ移ってレセプションが行われ、立食パーティー終了後に全国ユニオンの仲間たちと飲み会へ行って、初日が終了した。
大会2日目は分科会が行われ、第1分科会の「ハラスメント相談にどう向き合うか」に参加した。
分科会の内容をひと言で言うと、相談に向き合うのには傾聴と共感が大切であるということであるが、傾聴や共感がいかに難しく、どう対処するかというような福祉職の研修で行われるような深い話は特に無かった。意見交換も各々の経験が語られるだけであまり深い議論にまではならなかったが、配布された資料のNPO法人ひょうご労働安全衛生センター作成の相談マニュアルは内容がわかり易く、とても良かった。個人的にはこれを入手出来たのが大きな収穫だと思った。その後、閉会式があり、次回は愛媛で開催されることが発表された。愛媛では初開催になるとのことで次回の開催に向けての意気込みを熱く語られ、次回の愛媛での開催が期待される。

2024年度執行委員/新任のご挨拶
書記長/片岡良男(市川地域支部)
昨年度から団体交渉と相談も担当するようになり、ユニオンの果たす役割の大切さを改めて実感し、組合員の皆さんと一緒に活動をしていこうと気持ちを新たにしています。
新規の相談ではハラスメントや退職強要、残業代不払い、不利益変更などの問題が、まだまだ増えていると感じます。また、ホームページのリニューアルも担当しますので、お気づきの点がありましたらお気軽に声をかけてください。どうぞよろしくお願いします。
書記次長/太田茂
現在は、なのはなユニオンの事務所内にある副執行委員長が社長を務めるグッドフェイス不動産で行政機関等からの依頼による賃貸事業を並行して取り組んでいます。普通の不動産会社では部屋を借りられない連帯保証人や緊急連絡先のいない方は天野執行委員にもご尽力頂いております。ユニオンでも今後、これまで長い間、携わって来た福祉分野での経験を活かし、生活困窮等をメインとした福祉の何でも相談を皆様のお力添えを頂きながら、ある程度は受けられるように相談の幅を広げられればと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
執行委員/小川力(富士そば労働組合)
前支部長の安部さんから引き継ぐ形で伊藤さんと共に共同代表を努める事になりこの度なのはなユニオンの執行委員となりました。
私自身今まではユニオン=怖い等マイナスイメージを抱いておりましたが、この度なのはなの大会、執行委員会を通して周りの執行委の方々からの優しいアドバイスに助けられております。
今後は少しでも永く富士そば労働組合の継続と私自身がユニオンを学び、ユニオンのイメージアップに努めたいと思います。引き続き宜しくお願い致します。
執行委員/藤田研祐(首都高KRMユニオン)
なのはなユニオンに加入したきっかけは、同僚が業務中に事故に巻き込まれた際、会社の対応が不十分で、労災申請がされないなどの問題があったためです。私は業務中の仲間の安全に強い危機感を抱きましたが、支部結成後はユニオンの協力のおかげで会社との交渉がスムーズに進みました。
今後も、交渉準備や実践を通して得た経験をもとに、力を尽くしていきたいと思います。
【《昭和~平成》:ヴィンテージとレトロ、その狭間の中で】第17話
《恐怖! 指ペロ星人》
紙などを捲る時に指に唾を付着させるホモサピエンス

昔、鉛筆の芯を、書く前に舐める人がいましたよね。
アレ、何で舐めるのでしょうか???
何れにしましても、不詳・筆者、絶対に御免こうむりたいのであります! そんな鉛筆を使いたくありません。
「書き味が良くなる」との事ですが、そんな鉛筆ペロ星人は概ね退職した模様です。
しか~し! 安心しないでくいださい! まだ健在です!
考えてみますと、そんな不快極まりない行為、似たような所作が他にもありませんか?
最近は郵便物を出す事が激減しましたが、昔は『切手』を貼る際、その切手の裏に着いた糊(接着のり)を舌で舐めて溶かしている人、結構な割合でいましたよねえ?(笑)
他には、お札を数えたり・書類を捲る時、そして筆者は何と『本屋で立ち読みする人』がページを捲る際に、指ペロをする人を見かけた事があります(オイ、買えよな、ソレ!)
オエエエ~ッ・キッタネエ!!
自分だけが使う、という人でも、筆者は見ていて気持ちが悪いのであります。
それを、誰かが同じ場所に触れるであろう処に指ペロをするのは、最早、テロ行為です。
口腔内には「どんだけ~っ!」の細菌・雑菌が繁殖しているか御存知ではないのか……
失礼を承知で申しますと、残念な事に、こういった行為をするかた、昭和に活躍した男性に多い印象を受けます。つまり今では「お年寄り」という言葉で扱われる年齢のかたですな。
かく言う筆者もそのお仲間に近付きつつありますので、指の乾燥を気にする今日・この頃なのであります(苦笑)
そう、不詳・筆者も、スーパーの袋を剥くのに「イライラ」する程の時間を掛けておりまして(あ、筆者は『エコ・バッグ』を使いません。何故なら、意外にも不衛生なのと、毎回も洗濯を考えると、二次的な使い道の多いコンビニ/スーパーのビニル袋の方が「エコ」と愚考するからであります)
そんなビニル袋。調べると、一応のコツはあるそうなのですが、それでも剥けない。
筆者は、そういった処に必ずといって良い確率で用意されている『指スポンジ』も、何かしらの細菌が付いてそうで使いたくないのです(笑)
事務作業でなら『指サック』などを用意して使えますが、外出先では困りますよね。
便利グッズも万能ではありません。毎日・毎回、いつでも・どこでも、装着していたり、持ち歩くわけにもいかずで。
コロナの影響で、個々の衛生意識が高くなったのは事実と思います。
ですが未だ『指ペロ星人』の暗躍するこの世界(笑)
果たして『正義のヒーロー』は現れるのでしょうか!?
それでは皆様、今月も御安全に!
(H・K)
<ネタ募集:「書くネタが切れてきました。こんなネタどうかなと、ご提案下さい!」HKさんより>
☆☆ おしらせ ☆☆
11月15日(金)17:00 | 成田空港裁判(ZOOM) |
---|---|
11月16日(土)18:00 | なのはなユニオン執行委員会 |
11月23日(土)10:00 | 東京管理職ユニオン大会 スタンダード会議室 |
11月26日(火)16:00 | 全国ユニオン首都圏幹事会 |
11月28日(木)13:00 | 厚生労働省交渉 衆議院第一 |
11月29日(金) | 全国ユニオンアクション<アマゾン予定> |
11月30日(土)13:00 | 全国ユニオン春闘セミナー 新宿ガーデン ※講師 中野弁護士 |
12月 7日(土)15:00 | シニアユニオン大会 世田谷区立経堂地区会館 |
12月12日(木)14:00 | OLC大川高裁(業務過重) 817号室 |
なのはなトーク

人生初の3000m級 北岳登山!
なのはなユニオンに加入してから、劇的に変化したことがいくつかある。
その最たるものとしては、趣味のようなものを特に持たない自身が今年になって山登りを始めることになったことである。鴨委員長から誘われたことがきっかけで山登りを始めることとなり、鴨委員長夫妻とシニアユニオン東京の髙井委員長と共に宝登山で山登りデビューを果たし、その後、北岳に行くという話が出て、練習のために鋸山を委員長夫妻と共に登った。
そして9月23日から2泊3日で北岳に行って来た。当初は鴨夫妻と髙井氏の計4名で北岳に行く予定であったものの予期せぬハプニングがあり、結果的には3名での山登りとなった。人生初となる3000m級の登山となった。これまでに登山は先述の宝登山と鋸山の計2回しか経験がなく、そのいずれもユニオンに入ってからの経験であり、安易に1000m級の登山の時の3倍程度の負荷であろうと想像していたのだが、これが結果的に大誤算であることを思い知ることとなった。
登山初日、昼前に芦安に着き、そこから北岳登山のスタート地点となる広河原までバスで約1時間ほど移動してからの登山開始で白根御池小屋を目指した。その日は、遅くとも16時までの到着を目指していたものの登ってもさらに先や奥へと道が続き、宿泊施設へ辿り着いたのが大幅に遅れたものの何とか日が落ちる前に無事に到着した。2日目は白根御池小屋から見上げて直ぐ手前に見える山の頂上がゴールなのかと思っていたが、これも大誤算で登り切っては少し降りてまたさらに登るという繰り返しで、その最中に急な岩場を登る場所も何か所かあり、上へ登る際に何度か膝を岩に強くぶつけてしまった。これが後の下山時に大きな影響を及ぼすこととなった。それでも膝の痛みを伴いながら、2日目の宿泊施設である北岳肩の小屋へ辿り着いて、鴨委員長と一緒に北岳の頂上まで登った。もうこの時点で膝がだいぶ悲鳴を上げていたものの足場の悪い道を歩いて何とか北岳の頂上へ辿り着き、飛行機を除いて人生初の雲の上の人という状態を肌で存分に体感した。肩の小屋で1泊し、この後は下山するだけであったのだが、膝の痛みの回復には至らず、痛みを伴いながらの下山は想像以上に負荷の大きいものとなった。具体的には膝の踏ん張りが全く利かないために少し滑っただけで激しく転げて、人生でも1日で転んだ回数を大幅に更新したのではないかというほど転び、七転八倒どころの騒ぎではないほどに膝の痛みに苦しんだ。あまりの激痛で膝を上げられない際には無理矢理両手で痛む膝を何度も持ち上げながら、歩かねばならなかったほどだったが、この試練を乗り越えないとなのはなユニオンの一員にはなれないかもしれないと自身を奮い立たせて、途中で雨に降られて濡れ、滑っては転びを繰り返しながら何とか無時に下山できた。北岳登山の結果を端的にまとめると、鴨委員長のみが元気であり、男性陣は負傷して満身創痍であった。下山途中で先頭を歩くものの別れ道のようなところが何か所か見受けられ、どちらへ行くのが正解なのかド素人では全く分からず、もしも1人で挑んでいたとしたら間違いなく遭難して無事に帰ることは出来なかったと思われ、このことも含め3000m級の山の洗礼なのだと実感した。

北岳登山の感想としては、頂上まで辿り着くのは宝登山や鋸山の山登りとは全く比較にならないほどに困難を伴った山登りで膝を負傷して歩けなくなりそうになるほど大変で満身創痍という状態を体感し、それでも何とか無事に北岳を踏破出来たことは大きな収穫であった。そして2泊目の早朝、肩の小屋で見た雲海がとても綺麗で幻想的であったことや下山時にはこれから北岳の頂上を目指す多くの登山者とすれ違ったが、意外にも女性の単独登山者が多かったのには驚かされた。北岳肩の小屋には遭難者の情報提供を求めるチラシが張り出してあった。北岳は遭難して行方不明者が出ることもある山であったということを現地で初めて知り、北岳登山はとても奥深い経験となった。
(太田 茂雄)
