なのはなユニオンニュース

2025年7月28日 No.321号

更新

なのはな組合員 OLC株主に!

6・27オリエンタルランド株主総会
& 本社前行動

10時から幕張メッセにて株主総会が行われた。組合は、会社の2035長期経営戦略「あなたと社会に、もっとハピネスを」の目指す姿「従業員が心から誇れる企業であり続ける」を実現するためには、カスタマーハラスメントがおきた際に、ゲスト第一ではなく従業員第一で対応することが原則ではないか、と株主に訴えた。
10時50分からは本社前にて、1年5カ月が経過したが原告Bの元職への復帰問題が解決されてないことについて、早期解決を要請した。


オリエンタルランド株主総会アクション

東京ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランド(OLC)の株主総会が、6月27日幕張メッセで開かれました。今回初めてOLCの個人株主になりましたので、質問を準備し、また総会開始時間に先立って会場そばの公道でOLC株主総会アクションを、なのはなユニオン・オリエンタルランドユニオンを中心に、全国ユニオン、東京ユニオン、シニアユニオンの仲間たちで行いました。

株主総会に出席する株主の皆さんへの訴えなので、OLCの2035長期経営戦略「あなたと社会に、もっとハピネスを」の目指す姿「従業員が心から誇れる企業であり続ける」を実現するためには、カスタマハラスメントがおきた際に、ゲスト第一ではなく従業員第一で対応することが原則ではないかと、「カスタマーハラスメント対策」をテーマにアクションしました。会社は今年4月18日に、「『OLCグループカスタマーハラスメントに対する基本方針』の策定について」というプレスリリースを出して、「従業員の人権を尊重し、これからもお客様にご満足いただくために、社会通念上不相当な要求や言動に対しては、毅然とした態度で対応いたします。」としています。しかし、例えばキャストが安全上必要な注意をゲストに行い、その結果ゲストが腹を立てた場合の「ゲストクレーム」では、キャストの言い分が聞き届けられることなく、「ゲストを怒らせたこと」をもって、指導確認書による指導が行われるケースがユニオンには相談されています。指導確認書にサインをさせられると、契約の不更新やグレードの変更などの不利益変更が行われるかもしれません。

さて、アクションを早めに抜けて、私は株主総会の会場に向かいました。出席者が多いことは私の想像を絶していました。数千人収容のイベントホールが使われました。欠席者が断然多いのですが、全部で約50万(個人と法人)の株主がいるそうです。

質問 2025年4月18日に「カスタマーハラスメントに対する基本方針」を公表した際に「これまでもキャストが対応に苦慮するような事案が発生していた。安心・安全の確保を高めるために策定した。」との報道がされたことについて、質問します。

①キャストが対応に苦慮する事案とはどういう事案か。
②カスタマーハラスメントが起きた際、ケースバイケースでの対応だとしても、「従業員が心から誇れる企業であり続ける」と2035長期経営戦略で目指す姿と謳ったことからしたら、原則は従業員を守るということを大切にすべきであると思うが如何か。

これが準備していた質問で、インターネットでの事前質問も行いましたが、「個別回答はしない」とのことで、インターネットで公表された「主な質問への回答」には採用されませんでした。当日は1時間にも及ぶ質問時間の間、多くの株主が発言を求めて挙手を続け、当ててもらうことはできませんでした。
来年は質問で当ててもらえるよう目立つ服装を考えますが、何人かで株主にならないと質問で指名されるのは難しいなと思いました。(K)


2025一人春闘交渉/セキサン

昨年に引き続き、6月27日にK組合員(男性正社員)の“一人春闘”交渉が行われた。今年で7回目である。
要求内容は、前年度と同様に賞与と昇給の他、6月1日から義務化された熱中症対策の3点であった。
賞与については、年5.6ヵ月から0.4ヵ月分をプラスした「6ヵ月分」を。昇給については、基本給の3%から2%をプラスした「5%」を要求するも前年度と同様の現状維持となった。要求に届かなかった理由としては、毎日使用している機械の掃除を怠り、それが理由でゴミが詰まり、目詰まりを起こして機械を壊してしまい、300万円超の損害を与えたことが大きかった。
今年から義務化された熱中症対策については、以前にKさんが熱中症で実際に何度か倒れたことがあることから、以前より春闘交渉で問題提起をし続け、会社は昨年春闘において、かなり積極的に熱中症対策を講じていた。今年、会社は現在行っている熱中症対策のリーフレットを作成。計8点の対策が講じられており、これまで春闘交渉をして来たどの企業よりも充実した内容の熱中症対策である。特に①の空調服に関しては、熱中症対策が義務化される以前よりK組合員が自費(1万円超)で対策を講じていたことを昨年から会社負担とし、従業員全員に配布。会社は、熱中症対策については、今後もK組合員の熱中症対策を参考にしたいとのことで、前向きに取り組む姿勢を示した。
交渉を重ねて来てよかったと思える有意義な春闘交渉となった。

熱中症対策2025年度

  1. 空調服の支給
    (交換バッテリーも各自2個提供)
  2. 通気性のあるクールビズ使用の夏用作業服の支給
  3. アイスキャンディーの支給
  4. 塩アメの支給
  5. 温度計、湿度計の設置
  6. 大型扇風機の設置
  7. 食堂内エアコンの終日冷房運転の実施
  8. 熱中症の恐れのある者に対する処置と連絡先のフロー作成
    [セキサンリーフレット抜粋]

冷房効きすぎ!/成田エアカーゴ

事務職で働く組合員Tさんは、外に出て仕事をする営業マンに合わせた室温で、夏場は冷房が効きすぎることに悩み、これまでも会社と話し、席の背部に風よけアクリル板の設置、席背部のエアコン吹き出し口への風よけルーバーの設置、足元パネルヒーターの貸与などの対応がされてきた。しかし今年は冬支度をし、足元にヒーターをおいても寒い。周りは暑い、暑いという状態で、冷房の設定温度は下げられ、風は強くされた。Tさんは、身体が冷えて以前労災になった傷が痛み、頭も痛くなり、業務に支障が出たので環境を変えることはできないか、部屋を変える、デスクの位置変更などを求めて、7月9日に交渉を行った。
組合は、Tさんが2024年1月から現在に至る間、出勤日の同時刻、事務所・休憩室で記録した室温を提示し、5月後半から19度~23度であったことを示し、環境省が推奨している室温は28度なので、あまりに低すぎるのではないか、と問うた。熱中症対策強化の真っただ中で、どうみても“我まま”“我慢して”と言われそうな案件だったが、社長が交渉に参加。1人の問題であっても労働環境の問題なので、抜本的解決にならないとしても対処できることは対処するとの姿勢を示してくれた。そして、会社は●席背部の風よけアクリル板の横幅・高さの延長、●温風器の貸与、●事務所の温度管理体制の確認。冬場の低室温状態の確認、●「従業員意見箱」の再通知など、早速対応してくれた。
この会社とは6年ぶりの交渉であった。以前は代理人弁護士主導の交渉で、解決できずに労働委員会と裁判をせざるをえなかった。今回の交渉で、会社のトップが変わると、こんなにも交渉内容が違ってくるんだということを実感した。久しぶりに、交渉をしたい社長に出会った。


関西生コン事件の本質は、産別労組に対する無知、無理解

弁護団「これは冤罪だ」

朝日/2025年6月16日

6月27日午後東京地裁で、関西生コンの国家賠償請求裁判(国賠)の最終弁論が開かれ、定員100人ほどの法廷は、支援者や組合関係者でほぼ満席に。メディアも取材に来ていた。
企業内組合ではなく産別労組である全日建関西生コン支部の組合員・幹部を、警察・検察が不当に逮捕・長期拘留したことに対して、当事者の組合員が原告となって国賠訴訟を起こしたもの。産業別労働組合では、直接その会社に雇用されていない組合員が交渉を求めて出向いたり、コンプライアンス活動としてその会社が違法なことをしていないか監視したりすることがある。これら組合の正当な活動を、恐喝や威力業務妨害として、組合幹部らを、京都、和歌山、滋賀の府県警が逮捕し、長期拘留。組合をあたかも「反社会勢力」と見なすかのような警察・検察が、組合の組織を壊滅させる意図で取り調べを続け、起訴したというもの。この国賠訴訟中に、刑事裁判にかけられていた組合員たちには次々と無罪判決が出て、12人の無罪が確定している。

被告である国、自治体側の陳述は前回までに終わっていて、最終弁論は原告側の持ち時間1時間で行われた。644日間も長期拘留された当事者である湯川委員長が、組合の団結権を侵害した人質司法を批判し、心臓の持病があっても医者にもかかれず命の危険を感じたと、当局の対応を批判。「事件の本質は産別労組に対する無知、無理解による組織的な組合つぶし」と弁護団の発言と歩調を合わせた。

次に、検察官による取り調べを録画したものが一部公開された。これは、「取り調べの可視化」によって録画されるようになったものですが、黙秘を続ける組合員に対して検察が執拗に「組合をやめるよう」言い続ける様子が映し出された。別の組合員に対する取り調べ録画も公開され、こちらは「組合員のあなたも、逮捕されたけど、これからどんどん削っていく」と組合つぶしを公言する内容だった。

録画映写の後は弁護団によるまとめが行われた。最後に原告弁護団の海渡弁護士が、「本質は、産別労組に対する無知、無理解だ」と繰り返し、「これは冤罪(えんざい)だ」と結んだ。

判決は10月31日(金)に行われると裁判長が告げて、閉廷した。原告勝訴を強く願う。


200羽の折り鶴を折りました。

 たまに1羽二羽の折り鶴を折ることはあっても200羽は何十年振りのことで懐かしく、最初の100羽は一羽ずつ丁寧に折りましたが、折り始めたら楽しくてアッと言う間に出来上がりました。

次の100羽は最初に全部途中まで折って、次にまたその先まで折って…というやり方で折っていきました。前の100羽よりは時間はかかりましたが、全部折り終える頃には「もう終わりなの!?」と名残惜しい気持ちになりました。
 

この折り鶴は8月の広島、長崎の平和行動で、広島の原爆記念日に献納されるのだそうです。

どうか戦争が無くなりますように。世界が平和になります ように。 

(池田)


 

なのはなユニオン第38回定期大会
開催日時 2025年9月27日(土)

ムページをリニューアル!

なのはなユニオンのホームページがリニューアルしました。
「なのはなユニオンとは」、「相談」、「なのはなユニオンニュース」、「支部紹介」などコンテンツは基本的に今まで通りですが、内容を更新してデザインも刷新。スマホからでも見やすくしました。

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「お知らせ」に掲載されるイベントスケジュールは、素早い更新ができるようシステムを構築しました。URLも分かりやすい、https://nanohana-union.org/ に。上のQRコードからもアクセスできます。当分は旧サイトのトップページから自動で新ホームページに飛ぶようになっています。
お気づきの点がありましたら、お気軽にお知らせください。(担当 片岡)


【《昭和~平成》:ヴィンテージとレトロ、その狭間の中で】第25話

《その昔の千葉市》・千葉市の想い出

千葉駅前の『ニューナラヤ』(=十字路に面した側に「時田ミシン」さんの『Singer(シンガー)』のミシン・コレクションが圧巻、再会が楽しみです)だったでしょうか、その所謂デパ地下にあった『珍湯麺(字を忘れました)』の味は今でも忘れられません。 夏場の千葉パルコは非常に冷房が効き過ぎていましたが、これたま地下のイタリア料理店で食べる『バジリコ』がとても好きでした。『ポストホビー』で買い物をした後、その向かいにあった書店で、パルコ内にBGMとして流れるバルティモラの「ターザンボーイ」を聴きながら立ち読みをする、何とも贅沢な中学生時代であったか。 京成電鉄の『青電(あおでん)』の、あの「牛の鳴くような」独特のモーター音が好きでした。小学生の頃、この電車に乗れると興奮したものです。私にとりましては、時代の違う蒸気機関車のD51(デゴイチ)以上に貴重な「特別な列車」でした。 ゴロという雑種の愛犬と『出津海岸』に泳ぎに行きました。今はポート・タワーがある所ですね。 高校生の頃は、3つの異なる映画館を昼から翌朝まで梯子していました。京成ローザ、千葉劇場、後なんでしたっけ。どれもその多くが既に無くなって久しいですが、私の『千葉』は、今でも心の中に鮮やかな色を持って生きています。 『扇屋ジャスコ(現「きぼーる」)』に登場したマクドナルド。 『セントラル・プラザ(後の旧「ジョッカー」)』は、あらゆる意味で正に私の「中心(=セントラル)」でした。 現『千葉そごう』のある場所には『ダイエー』があり、その昔、テレビシリーズ『西部警察』で使った架空の車両『多目的装甲車「レディー・バード」』がイヴェント展示された時があって、その重厚な存在感たるや、とても圧巻でした。 

作草部を横切る大きな空き地では、スーパーカー・ブームだった当時、私は抽選で当選し、その中の一台『マセラッティー』の運転席に座れたのです。 大好きな『万葉軒』の本社にあったD51の大きな車輪、その向かいの東千葉駅のホームへ降りる階段裏には、当時でも蒸気機関車の黒い煤汚れが付いていました。 千葉市民会館での成人式は『幕張メッセ』の完成と共に、私の代から千葉市合同成人式の会場となり、同級生に会う事もできませんでした。 私が再び千葉に転居して来て一番驚いたのが『アクアリンクちば/新港クリーン・エネルギー・センター』がある場所が、その昔『わんぱくランド』として知られた大水泳施設だった、という事です。塩素の匂いが残る濡れた髪の毛を風で受けながら飲むラムネの味。 現在の『青葉の森公園』は昔、国の『畜産試験場』でしたね。周囲の宅地化が進む中、広大な敷地の中に放牧された牛などがおりました。大きな池(沼?)のようなものもあったと記憶しています。 私が中学生の頃に戦争ゴッコをやっていた時に使わせてもらった『都賀・市民の森』など、今は道路になってしまいました。 千葉都市モノレール『葭川(よしかわ)公園駅』の前にあったレストラン『ほてい家』には、とうとう行く事が出来ませんでした。 『田原屋』のあった『富士見本通り(通称「ナンパ通り」)』には、多くの古書店がありましたね。 時代が変わっても、これらの記憶を私の頭から消すことは出来ません。 その昔、私が大好きだった地元の模型店を今回の最後に紹介したいと思います。千葉パルコ前にあった『たからや』は、元々は金物店の一部で模型を扱っていた一番大好きなお店です。都川にあった模型店はラジコンが多かった。またその反対側の千葉亥鼻城下にあった模型店には、多くの掘り出し物が沢山ありました。栄町の『小川模型』のおばちゃんは、気に入った子供にしか優しくなかった。『きぼーる通り』と仏具店の交差点斜向かいにあった模型店で、私は多くの科学模型を見ました。記述の『なんぱ通り』にあった模型店には、青いクラッシック・ブガッティーの高度に完成された模型など多くの素晴らしい作品が展示されていました。『西友・西千葉店」前の道を稲毛方面に少し歩いた先にあった鉄道模型のお店は、私が小学生の頃に教育実習生としてきた先生が良く利用していました。模型店はもっとあった筈ですが、私の知る限りの模型店が千葉市の中央区とその近辺には、沢山ありました。
故・長嶋茂雄氏の言葉をお借りして「我が千葉県は永久に不滅です!」

 それでは皆様、今月も御安全に! (H・K)


☆☆ おしらせ ☆☆

8月30日(土)18:00なのはな執行委員会
9月 6日(土)13:00全国ユニオン大会 IKE-Biz ※傍聴参加歓迎!

16:00 シンポジウム
「貧困・差別に労働運動はどう立ち向かうか」
[パネラー]
・柏木宏(大阪市立大学名誉教授)
・小林美穂子(つくろい東京ファンド)

18:00 交流会
9月27日(土)なのはな大会

なのはなトーク


 私の部屋にはかつて目覚まし時計として活躍した時計が3個ある。一つ目は、何年も前にとても大活躍して、毎朝の私を起こしてくれた。今はアラームが鳴らなくなった。二つ目は、ロッテが川崎から千葉へ移転してから間もない頃に購入したもので、何度か使ったが、もうハンマーでベルを叩かなくなった。三つめは、私は使っていなかったが、約30年前に他界した祖母が老人ホームで使っていたもので、祖母の名が記入されている。この三つめが、なんと今でもしっかりとアラームが鳴るのだ。佐倉のアパートで祖母が1人で住んでいる時、固定電話に掛けると、祖母は「ありがとう」と言ったことを思い出す。

 今から45年以上前に青森でりんご園をやっていました。当時の私は小学生で、木造の古い校舎で創立百周年のイベントがありました。学校の登下校時に、道路ではなく他人のりんご園を歩いたこともありました。今思うと、他人のりんご園を歩いて良かったのか不思議です。

 冬になると、当時の小学校の校長先生からスキー教室で指導を行っていただきました。校庭の雪を集めて山を造ってから、学童らはミニスキーで遊んでいました。今は私が車の運転から遠ざかり、それと同時に関東周辺のスキー場へと行かなくなり、もうスキーは初心者レベルです。

 家族で青森から佐倉へ引越しても、祖母はそこからも約1,2年間は青森に残りました。やがて佐倉にやってきました。その頃の私は中学生になっていました。祖母が眼科に通院したいとのことで、私のアドバイスで京成電車で大佐倉駅から京成勝田台駅まで、一人で乗車して○○眼科に通院したのは驚きでした。

 今では形見となったあの目覚まし時計が、現役でいるのは奇跡的な事です。しかも、丁度、電池が切れかけて時計が遅れ出したため、急いでコンビニで買って交換しました。昨年の12月30日に会社での日直当番となり、携帯電話のアラームとこの目覚まし時計とのダブルで当日の朝、しっかり起きて、順調に当番を行うことができました。なんだか祖母が見守って、背中をポンと叩いてくれた様な気がしました。

 追伸1.生前に母親が成田空港の国際線の機内食の仕事で、会社からいただいた置時計が2025年1月中旬に動かなくなりました。

 追伸2.今年の2月初旬に自宅アパート前で転んでお尻の骨を骨折して2ヵ月入院しました。理学療法士の方と共にリハビリを重ねて3月末に退院し、杖を使って4月中旬から職場復帰しました。

(田中)